ドーピングは合理的なのか?

そもそもドーピングのための医学の利用自体が認められない、
というのが前提である。
その上で、次のような疑問を持つ。


そもそもドーピングは合理的なのか。
つまり競技力向上を本当にもたらすのか。


現在はスポーツ医学が発達し、トレーニング方法も進歩している。
そんな中、ドーピングを行う意義はどれほどあるのだろうか。


ドーピングの医学はアンダーグラウンドな医学である。
だからおそらく、効果があるとされる薬物であっても、
エビデンスレベルの高い臨床研究をくぐってはいない。
そもそもそのような臨床研究をはヘルシンキ宣言に抵触するため、
行うことはできないだろう。


だから効果にしても、疑いをさしはさむ余地が大きい。
医学においてこれまで有効とされてきたことが、
臨床研究によって否定されることはありふれているからだ。


またそれを担っている人たちに医師(たとえばフエンテス)は含まれているが、
彼らの医師としての技量や医学的知識を評価するのは難しい。
かんぐれば、怪しげなドーピング処方を行って、
不当な利益を得ている輩に過ぎないのかもしれない。
プラシーボ効果を考えれば、薬理学的に効果がなくとも、競技力が上がって、
それを自身の実績としていることもあり得る。


有力選手のドーピングスキャンダルが報じられるため、
彼らの強さはドーピングのため、と印象づけられる。
確かにクラトフビロワ(陸上女子800m)、ジョイナー(陸上女子100、200m)のように、
20年も破られていない世界記録を出した選手は、誰が見ても限りなく黒に近い。
彼女たちは風貌や体型もいかにも、という感じだった。
しかし、こうした「成功」例で全体を推し量ってはいけないのではないか、と思う。