論理的に書くこと

知り合いに頼まれて、ある専門職の団体のウェブサイトを作っている。
見た目に派手なデザインは作る気もないし、作れないが、
Web標準ユーザビリティアクセシビリティ
といったことに配慮したサイト作りはそれなりにできるので、
作業自体はそれほどしんどいものではない。


ただ、ちょっと困るのはサイトに載せるための原稿。
文章になっていないのが多いのだ。
文章が下手、という以前に形式的・論理的に欠陥のある文章が送られてくる。
だからことごとくリライトが必要になる。
引き合いに出していいか分からないが、軽度障害ネットワークのサイト(メンバーの大半は一般の社会人)
を作成するときには、リライトはほとんど必要なかった。


そう言えば、某学会の発表でもそんな印象があった。論理に飛躍があったり、
「何でこんなことが言えるの?」と何度も思った。
僕が関わっている専門職の人たちにせよ、某学会で発表するような大学院生にせよ、
一般人よりは高い知的トレーニングを受けているはずなのだ。
でも、どうもそのようには見えない。
個人差はあるけれど、彼らは一般人たちより論理的に書くのが下手、
ということがあるのだろうか。
もしそうだとしてなぜそうなるのか。


彼らは、読み手のことをあまり考えないのではないか、と思うことがある。
自分の書いたものを他人が読むのは当たり前。
分からなければ、それは読み手が悪い。
そんな風にあからさまに思っている傲慢な人はそうはいないだろうが、
もう少し読み手の側に身を置きながら書いてもいいのではないか、と思うことはしばしばある。


もしかして彼らには読み手は必要ない*1のではないか?
ある種の制度の中でルーティン・ワーク的に「文書」を作成していればそれでOKなのだろうか?
そんな根本的な疑問を抱くことすらある。

*1:そういう選ばれた書き手は一つの極限として存在するだろう。そして難しくしか書けない難しいこともあるだろう。しかし、それはあっても稀なこと。自分も含めてほとんどの人はそんなものは縁がない。