負けること(2)

どこで読んだかは忘れたが、
「ギャンブルでは敗北の疑似体験ができる。」というフレーズが頭に残っている。


ギャンブルに限らず、ゲーム、スポーツなどで得られる貴重な体験は、
「負ける」という体験だと思う。負けることは死ぬことにも通じている。
たとえ負けようが死のうが、あくまで疑似体験である。
実人生と違って、とりかえしのつかないことではない。
しかし疑似体験と言っても、その世界に没入している限り、それはリアルなものだ。


スポーツを観ていても、ベストを尽くしても負けることがある、とか、
夢はかなうとは限らない、とか、身も蓋もないことを実人生以上にリアルに学ぶ。


夢が必ずかなうなら、それはまだ別の夢(非現実)の中にいる、というだけだろう。
決して負けない、というのもファンタジーの中でのことだろう。
その夢やファンタジーから醒めて、いささかの幻滅を味わう、
というところが本当のスタートラインだ。


もちろん、スポーツを観ていて、いつもそんなことを考えている訳ではない。
何よりも、アスリートのパフォーマンスに驚き、酔い痴れたいから観ている。
「哲学」(と世間で言うもの)とかまして人生論みたいなことを語るのは
僕はあまり好きではない。
でもふとこんなことを考えることもある。