片頭痛・続

夕方になっても片頭痛は消えず、よくなったり悪くなったり。
痛いので、痛みについてちょっと考えたりする。


痛いか痛くないか、どのくらい痛いかを最終的に決めるのはやっぱり本人の証言だろう。
ヴィトゲンシュタインは、痛みの証言というのは痛みの徴候ではなくて規準である、
みたいなことを言っていなかっただろうか(うろ覚え)。


「痛い」とウソをつくことはできる。
「痛い」と言いながら、その振る舞いを見ても、あるいは自律神経反応(発汗、頻脈など)を見ても、
その裏付けがなければ、ウソをついていると見なされることがあるかもしれない。


しかし、たとえそうでも、本人が痛いと言えば、痛いと見なさざるを得ないところがある。
それが「痛い」あるいは「痛み」という語の「文法」(これもヴィトゲンシュタイン風の言い回し)なのだ。


ちなみに本人が「聞こえる」と言っても幻聴と見なされるのは、
「聞こえる」という語の「文法」が「痛い」という語の「文法」とは違うため、と言うことができる。
「聞こえる」の規準は公共的なもの、つまり他の人にも聞こえる、ということによる。
だから幻痛というものは厳密には存在しない。「幻肢痛」というのはあるが、
痛みが幻なのではなく、痛みが四肢に定位されるのが幻なのだ。


なあんて、テキトーな哲学風の思索(笑)を繰り広げているうちに、
いつのまにか僕の痛みは止んでいる。このまま終息してくれればいいのだが。
とりあえず、片頭痛を誘発するかもしれないアルコールは今日は止めておこう。


教訓:患者が「痛い」と言っているのに「痛いはずはない」、と言う医者はヤブである(笑)。